3.11 sinsai
○ 20110703 回収後2ヶ月たってからようやく残りのポリ袋を開け、洗浄作業することにしました。
瓦礫の下になっていたものは、泥で汚れ、カビが発生。いかに汚いか。
ここの部分は、比較的泥汚れが少なく、表面を雑巾でふき取ることで清掃終了できたもの。
このセイラさんが、かわいかったら、フィギュアの歴史が変わっていたかも。タミヤのロシア兵女性も含め、かわいい女性フィギュアが出てこなかったのが、インジェクションフィギュアの歴史の不幸であろう。
この頃のエレールは、モールドが非常にシャープ且つ製品に愛情が感じられるつくり。あいもよく、プラ表面処理も良好。

97式。30年前のものだが、ひねり出してみるとセメントはまだ生きていました。奇跡的です。車体上部は割れていました。本物と同じくプラ厚が脆弱であったためです。
6台くらいあったRSO。派生型を作ろうとしていたので台数があったのですが、前回回収分も入れて2台の回収。この箱の中身は、一体整形のキャビンが2つに割れていました。
マックス・トミーのソフトスキンの一部。
洗浄、乾燥、袋詰め、整理で終了。このうち何個姿かたちになるのだろう。
洗って乾燥させてからポリ袋に一種類ずつ入れます。箱画のデジタル画像のプリントを添えます。レーザープリンターのプリントはオイルが出やすいので、画像は単独で袋に入れなければなりません。
取説は、1枚1枚清掃し、リセッシュで消毒。
洗浄作業
2011年5月5日以降適宜実施。なかなか時間が取れませんでした。その間、泥が乾いて、カビが繁殖。
津波被害のコレクションはほとんど1979年前後1年のもの。約30年前のものです。
ほとんどが泥まみれですので、水場での作業です。屋外の水道では、細かいパーツが流出してしまいますので、風呂場での作業にしました。
エアフィックスのスカウトカー。中身は流失。車体一部のみ残存。
エレールのジープ。中身はあり。

突如出現したメーカー野村トーイ。ヤマト、アンドロメダ、ナスカのみ発表して撤退。残念ながら3点とも中身流失。ナスカのみ船体の一部残存。

アンドロメダは、多少ずんぐりむっくりしたデザインであったがよく感じを掴んでいたもの。ナスカのデザインは秀逸。バンダイ100円シリーズのものは幸い残ってました。


イタレリ。後にシャーマンの車体上部は発見。プーマは繊細な車体下部パーツが結構痛んでおりました。購入した日付と店舗を記入していたものです。
名作3.7センチ砲と同系列で、やはり名作のはずだった7.5センチ砲。

モーターライズの4号車体を使った4突。幅が2ミリ広いと、寸法マニアから弾劾された初期4号戦車シリーズ。実際と同じようにタミヤの3号突撃砲車体上部をパーツ請求して保存してあったもの。
マックス・トミーのアンビュランス。中身あり。
エレールの262。中身あり。
ニチモエレファント。この当時でも、リモコンバージョンしかなかったので、の購入。リモコンユニットは流失。戦闘室大破。
台形の戦闘室は、衝撃がもろに伝わり割れが発生。これは、車台を活用して、エレファント系列の試作車を作る予定。

アニメものは残念ながら中身流失。
ブルーノアは一部すらなし。但し、バンダイの100円のブルーノアは残っており、そのすがた形を偲ぶことが出来ます。
UFOコントロールベースは、UFOのムーンベースの中核部分。周辺に伸びた足と球形のパーツに色々なモービルが
収納される合体メカものでありました。周辺パーツは陰も形もなし。コントロールベースの一部のみ残存。このようなものは、画像残して廃棄。
○ 20110603 津波
おやぢの母の実家がいわき市久ノ浜にあり、今回の3.11震災津波で流され失われました。そのうちに、何とおやぢの中、高、大学生の本、教科書、ノート、文庫本、そしてプラモデルのコレクションが、おやぢの実家から久ノ浜の家に物置代わりに持ち込まれていたのでした。!!!!
4月2日に、遺留品捜索に行ったとき、瓦礫の下に何かがありそうだ、と心惹かれる所がありました。
http://i135.photobucket.com/albums/q135/sunken55/R0017438-1.jpg
http://i135.photobucket.com/albums/q135/sunken55/R0017434-1.jpg
何とこの2枚は何としてもサムネイル表示ができなくて、アドレス表示になりました。怨念が画像にこもっているのでしょうか?
5月5日に、今度は、パワーショベルを準備して瓦礫を動かす作業を行いました。義父がパワーショベルを扱えるのです。パワーショベルを使って捜そうとした母の貴重品はとうとう発見できずでしたが、なんと、瓦礫の下から、おやぢのプラモデルがぞくぞくと発掘。家族から白い目で見られながら、汚泥にまみれた昔のプラモデルを引き出します。ポリ袋に8袋ほど出ました。
急にピントが合わなくなってしまいピンぼけ画像です。何か波動が発せられているのかも。科学で説明できない事象です。
他に、SFの文庫本が山ほど。こちらは水、泥でふやけて駄目。高校のノート、大学のノート、中学生の頃のスケッチブックなど
など水を被ったものは非常に汚染されていて(臭く、何がついているか判らない)どうしようもないので廃棄。
ポリ袋に詰めたプラモデルは、汚れ具合により、洗い方が異なります。4月に回収できたものは、波の先頭に位置していたようで
幸いにも全部水没していなかったので清掃作業も楽でした。今回のものは、瓦礫の下に埋もれていたので、紙は腐っているし、
かびているし、プラ部分も圧力で押しつぶされているものが多く、パーツも流出してしまっているものがほとんど。
結局、外箱は使えるものは少なく、写真をとって廃棄する方法にしました。取説(組み立て説明書)はさっと洗いリセッシュをかけ、
風呂場の壁に貼り付け、伸ばし、乾かすというステップ。プラはぬるま湯ですべて洗い、刷毛で泥等を落とします。
近々、画像を張りますが、私の昔のプラモは、買った日付と、買った店が裏に書いてあり、それを見るだけで、昔をすぐに思い出し
てしまう、ライブラリー的要素が多分にあります。
いわき市四ツ倉港海岸の柵。津波の力で国道側(手前)に曲がっています。
いわき市四ツ倉のコメリ。津波が来てから、商品の盗難が横行。8月に行った時は解体され更地になっていました。
○20110502
3.11震災
地震、津波、放射能という震災が福島県を襲いました。おやぢの母の実家がいわき市久ノ浜というところにありましたが、津波で流失しました。そこに、おやぢの昔の品々も、おやぢの生家(いわき市平)から久ノ浜に一部移動されていました。中学、高校、大学の書籍やらプラモデル。
大学の論文集。私のは載ってませんが。こんなのも久ノ浜に来ているとは。
津波被害を確認しに行けたのが4月2日。ようやくガソリンが入手できるようになり、高速道路も復旧したからです。瓦礫、瓦礫、瓦礫。
強烈な臭気と、粉塵。泥が乾いて粉塵が舞い上がります。そんな中、奇跡的に昔のプラモストック品が津波の先端部分にあたる地点で
発見されました。他のほとんどの家財がつぶれひしゃげ原型をとどめないない中での、この姿は奇跡としか言い様がありません。
これは単品で津波先端に漂着していたもの。
トミーのRSO、カチューシャロケット、など。
左に少し写っている青いポリ袋は上のもの。
マックス・トミーのソフトスキン関係の箱が入っています。ダンボール箱は外箱がしっかりしていたので、沈まず、中身は少し泥水が
入ったくらいで済んでいます。エッシーの2センチ砲搭載1トンハーフトラック。
こちらは、飛行機関係。泥水がザバっとかぶっていて、結局全部水洗いとなりました。
軽く、水に浮いたのが形が残った大きな要因だったのでしょう。また、外箱がかなり(30年位昔)古いものなので、3.11から4月2日まで
の間に盗難にあわなかったのだろうと思います。被災地では、火事場泥棒ならぬ津波被災地泥が横行。また、放射能避難地域で、
津波がない地域は、津波がなかった分家財がそっくり残っていたので、空き巣、泥棒が横行しています。
救出された昔のコレクション品。
マックスのドラゴンワゴン(涙)、エッシーの2センチ対空砲搭載1トンハーフ。
同じく救出された、ニチモ30分の一3号戦車。バンダイの48シリーズ。田宮88砲。
泥水が浸入または被っているものは、臭く、衛生上非常に悪いと考えられます。したがって、デカールがアウトになるのを承知で、パーツ、
取説、箱など全部風呂場に持ち込み、毛筆筆で一個、1枚づつぬるま湯で水洗いです。
箱は、思い切って水にどぶっとつけて、さささと筆で泥を落とし、さっと水を切って乾燥させます。ランナーについた状態でパーツもぬるま
水洗い。毛筆筆はこんなときちょうどよい柔らかさです。すすぎ水は驚くほど汚くなります。
リビングに新聞紙を敷き詰め、飛行機、ソフトスキン、など回収できた模型を展開。リセッシュを併用して箱、取説など紙部の消臭除菌。
その後の姿が上記の画像です。
田宮sdkfz222が、発見されたのですが中身がばらばら、圧迫破損していたので廃棄。RSOも一部パーツがなくなっている可能性があります。
田宮メーベルバーゲンは、車体下部が流失。残念。VTOLのポゴは、もともとがポリ袋にパーツがどちゃっと入っているので何がなくなっているのか不明です。キャノピーなどなくなっているとがっかりです。
家財のほとんどがだめなのに、こんなプラモデルのみ原型をとどめ、且つ使える(組み立てられる)状態にあるのは、本当に幸運でした。