モデラー再生計画


〇20191201  

 2019年末あたりから、M3スチュアート、M3装甲車、24分の1架空フィギュア、などなど作り始めました。

 基本は酔っ払いモデリング。
 酔っぱらって、余計なパーティングライン消しとか、塗装のはみ出しを神経質になくすようにするとか、を省くのが目的です。

 初めは調子よかったのですが、結局酒飲みにシフトしてしまって、模型作りからはなれてしまう!という落ち。

 どうなるドランクモデラ―!?


〇20160101   プラモデルの部屋移転

 これまでプラモデルの部屋(アトリエ)を構築してきましたが、仕事用に導入したこのプレハブを、再び仕事用の事務所に戻さねばならなくなりました。
 自宅一室の事務所部分を、プレハブ小屋に移転し、プラモデルを自宅の一室に保管するようにしました。

 見た目が悪いので、かみさんから強い嫌悪感を表明されました。しかし、これしかないので、一室がプラモデル倉庫になりました。

 相変わらず、作らないでいるプラキット収集家になっています。


○ 20110502
 結局、再生など出来ないのだろうか。プラモを作る、ってことが、かみさんからも白い目で見られ、同じ時間を使うインターネットは何も言われない。なぜ!?
 インターネットに使っている時間をプラモにあてれば、すごい数のプラモが作れるのに。

○ 2009年7月
 
 事業の見直しで、事務所を移転。事務所建物に収容してあった、大量の模型ストックを、プレハブ「アトリエ」に移動。仕事で使っていた事務机も入れたため足の踏み場もなくなってしまいました。それの事前準備で、模型用作業台を撤去。知り合いに引き取ってもらいました。作業机はあった方がよいですが、場所がなくてはどうしようもありません。
 モデラー再生計画も、もしかすると、社会人は、プラモデルを作れないのか。と思うようになりました。
 なぜか。
 時間を浪費しているように、女性(かみさん)から見られるから。

 ゲームをしている男(私や子供)には、まあ寛容なかみさんが、プラモデルを広げると露骨に排除しようとするのは、なにか、奥深いものがあるのかもしれません。その辺をクリアにしていかないと、再生はできなのかも。


○ 車を作る  200109
  エスティマハイブリッドの模型がなかったので、エスティマアエラス フジミ 24 を塗装してくみ上げた。
  銀地の仕上げをやったことがなかったので、ためしの製作。戦車の方が面白いなあ。やはり。

○ おやぢ怒る。  200108
  輸入品の4号突撃砲を福島市のせきや模型店で買った。売価5000円するが、その半額くらいで売ってたので、即購入。
  わくわくしながらあけたら、なんと見覚えのあるフィギュア。嫌な予感がして視線を横にずらすとランナーのタグにTAMIYAの刻印が、、、

  MADEIN○○とかいてある。ティーガーの戦車回収車も出しているメーカーだが、昔の田宮の4突にエッチングパーツを入れただけの代物。これまともに5000円何がしか出していたら、もっと怒っているだろう。
 販売店も販売店の責任で、中身は田宮製だと明記すべきだ。残念。  

○ 2001年7月
  エアブラシを始める。
  換気扇前のダンボール製フードがよじれて傾き、換気扇の羽に接触、羽が2枚吹き飛ぶ。
  
  ハンドピースは、往年のピースコン ヤング88

  描線が太いので、模型屋さんに行ってハイグレード型を入手しようかと相談したら、「ヤング88」でもコンマ3でふけるんですよ。
 といわれ再挑戦することに。
  エアブラシもへたくそになっていたので唖然。

  それにしてもエアブラシは、シンナーを大量に消費しますね。

○ 2001年5月
  連休に、塗装を始める。

  筆塗りがやたらへたくそであることに気づいた。これって小学生レベルだよな、と自分に言い聞かせる。

〇2000年10月
 たまたま作業机を入手。いよいよ作業を少しづつはじめる。換気扇も自作。
  

〇2000年2月
 ラジコン魔王!?(田宮模型歴史研究室助手命名)ひのきさんから、それとなく催促があり、いよいよ作成開始かとも思われている今日この頃、あいかわらず私のアトリエは、荒廃したままです。写真取る気力がわきません。おいおいここに掲載しますが、とりあえず作業机は設置済です。換気扇を取り付けるところで止まってます。

 いにしえの栄華を取り戻そうと思い立ったきっかけは、雑誌「アーマーモデリング」の発刊であった。なんと幸せな出会いであったろう。このようなハイグレードの模型雑誌、それもAFV専門である。

 ドラゴン社の奮起もあったと思う。東洋の模型メーカードラゴン社は、タミヤがミニ四駆に夢中になっている時代でも、新製品発売に情熱を傾けつづけた。いまや、各社がこぞって、スクラッチビルドの対象だった試作車、ペーパープラン車まで発売するありさまである。

 そんな中、アーマーモデリングの読者層が、自分と同じくらいであることに気づいた。これは、ただ読んでいるだけの人ではだめだ。作らなくちゃ。

 というわけで、おやぢモデラー再生計画はスタートしたのであった。
時間、作る場所、ストック場所。

プラモデルは贅沢な趣味である。家族は、入れない。飯を作ってもらえる環境でないと、まず無理だ。作り始めれば、飯は作れないのは明らか。飯を作らねばならないと、模型は作れない。これは学生生活のときに証明済みだ。
さらに、作成中のスペース、作品に子供が手を触れられない環境が必要だ。これは非常に大きい。子供は自分の作品だが、模型は壊されたくない。専用のスペースが必要である。また、有機溶剤などの危険物質も多量にあるのでこれはかなり高い実行必要命題だ。

オーディオと同様、趣味は部屋が大事?

結局、専用アトリエをプレハブで作ることにする。これは仕事に使っていた保険事務所を移転したため、流用したものだ。

以降、アトリエの作成過程をお知らせしていく。次回、お待ちください。