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疲労回復せぬまま仕事で仙台へ。
疲労が抜けないまま仕事をするのはとても気が引ける。
ベストコンディションでこそ繊細なチューニングが出来るからだ。
しかし気合いを入れて仕事に臨む。
なんとか卒無く仕事をこなした。
その後お客様からお茶をごちそうになった。
お茶はお茶でも茶道の先生から頂くお茶である。
落ち着いたしつらえの和室に釜と茶道の道具。立派な茶碗。
お客様は裏千家の茶道師範で陶芸家で窯元で随筆家、彫刻家、太極拳八段師範と多彩な才人である。
陶芸と太極拳は多数のお弟子さんが居る。
本来なら自分が口を聞けるようなお人では無いのだろう。
しかし何故か20年以上のお付き合いをしている。
流れるような作法はまさに形式美。
周りを圧する空気感。
いや圧すると言うのは違うな。
空気を澄ますと言うべきか?
心地よい緊張感。
頂いたお茶の美味い事!!
ほんのり甘い。絶妙な温度。
流石は師範。
ど素人で作法も知らない自分に優しくお茶を出してくれた。
おそらく茶碗は自作の一品でしょう。
お礼を申し上げて帰途に就いた。
後から思った。
正にこれこそが「道」なのであろうと。
道を極めんと歩く道は到達点が無い。
師範でありながらたゆまずその道を歩みつづけている。
自分はどうだろうか?
オーディオは「道」だろうか?
違う気がする。
言わば「業」だと思う。
業は「ぎょう」であり、「なりわい」であり、そして「ごう」でもある。
人が発する行いが道であり業である事は変わらないが、業には「ごう」も含まれる。
日本にはあらゆる「道」があり段位や階級もある。
オーディオにはそれは無い。
勝手に思っているのは構わないが所詮は道に及ばない。
数百年の歴史を刻む「道」に遥かに及ばない。
もちろん家元や宗家も無い。
だが業で構わない!
あくまで業としての道を進めばいい。
我々のやっている事は誰かが作り出した作品の二次的使用に過ぎないが二次的使用を極めよう。
一代稼業として業をおこなうのだ。
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